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2016年8月31日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第144号
『嫌老より賢老』
学校長 荒木 孝洋
暦の上では間もなく白露、秋の気配が深まり露の量が増える季節、ここ数日、気温も下がり朝夕いくらか凌ぎやすくなった。熱波で火照っていた身も心もホッと一息。当たり前のことだが、人は皆、春夏秋冬、季節が一回りすると齢をひとつ加えていく。私も70回目の秋を迎えることになった。古来より70回目の誕生日は『古希』と呼ばれ、めでたいことだと祝いの席が設けられる。「よくぞここまで生きてこれた」と感慨深くもあるが、「あと何年生きられるのかな?」と不安もよぎる。知人から「古希まで生きるのは、昔は珍しいことだったが、今は古希で亡くなる方が珍しい。いつまでも元気でいて下さい」と励ましの言葉を頂いた。
とは言え、「高齢者の増加」は国としては大きな課題であり、渦中の年齢としては、キツイと思えるような施策であっても受け入れていかなければと覚悟しているが、先日、ネットでショッキングな漫画を見つけた。題名は「ハローワーカー」、作者は首相官邸にドローン飛ばした人物だそうだ。その内容は少子高齢化に悩む未来の日本。若者の失業対策として「老人駆除法」が施行され、増えすぎた老人を処分する「老人駆除部隊」が結成され若者たちが老人狩りをするのです。ひとりの老人を処分するごとに一万円。高齢者を間引きすることにより、年金、医療費を浮かせて若者たちの出産、育児、教育費に充てるストーリーだ。老人たちも「スーパー老人部隊」を結成し若者たちに対抗します。マンガとはいえ、ブラックユーモアと笑っていられないリアリティさです。現実に、高齢化社会の日本人の4人に1人は65歳以上のお年寄り、これが2060年には人口の40%が年寄となる社会です。作家の五木寛之さんは、著書『嫌老社会を超えて』の中で、このマンガについて「今の社会をどこか反映しているのではないか。人より先に有毒ガスを察知する炭坑のカナリヤみたいに。嫌老社会の入り口に今我々は立っているのではないか」と述べておられる。老人ばかり増え、若者たちがいくら働いてもお年寄りのための年金にばかり使われ、結婚もできない社会では、若者は嫌老になるはずです。株価が上がり円安になっても非正規の若者の生活は向上しないし、GDP600兆円とか希望出生率1.8、介護離職ゼロなんて実現不可能な数値をいくら並べても前には進めない。このまま放っておくと老若の軋轢は深まるばかり。対策を先送りし、気付いたらマンガ「ハローワーカー」の世界では悲しすぎる。
どうも、マンガ「老人駆除法」の根底には『嫌老』があるようだ。そこで提案だが、「老人よ『賢老』に変身しよう!」。では、どうしたら『賢老』に変身できるのだろうか。作家の童門冬二さんは、『賢老』の秘訣について、『三つのK』が必要だと提案されている。「経済」=(金)、「健康」=(身体)、「希望」=(心)の三つです。さらに、高齢者にとっての人生行路は「起承転結」というより「起承転転」だと。人生の「結」は、今までのような悠々自適な老後と考えるのではなく、新しい生き方への区切りであり、最後まで転がり続ける「転」と認識した方がよいと。89歳の童門さんは、今も元気に執筆や講演活動をされている。また、82歳の作家、五木寛之さんは、著書『下山の思想』の中で、「人生行路は山登りに似ている。青雲の志高く頂上(坂の上の雲)を目指すのが若者であり、老人は辿ってきた道をユックリと振り返りながら下山する。それが賢老の歩みだ」と述べておられる。下山は『頂点を極める』という目標から解放され麓の道を踏みしめながら歩けるから、歩数も違うし見える景色も違う。古希を迎えた今、人生の「来し方・行く末」に思いを馳せながら『転・転・転・・・』と、命が続く限り、若者応援部隊の『賢老』を目指してユックリと歩みを進めていきたい。
2016年7月13日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第143号
『法で“いじめ”はなくなるか?』
学校長 荒木 孝洋
いじめ防止対策推進法が制定されて3年が経過した。同法では「いじめを行ってはならない」と定め、「本人がいじめられたと認識した場合は“いじめ”としてカウントする」と書いてあるから、学校では定期的にいじめ調査を行い報告書を作成している。文科省の統計によると、いじめ認知件数は増加傾向にあり、2013年度の18万5800件から翌14年度は18万8072件になった。
ところが、“いじめ”の認定はそう簡単ではない。相手をからかった生徒が「いじめるつもりはなかった」と弁明しても、いじめられた本人がそう感じる場合は「からかい」を“いじめ”として報告している。しかし、生徒間の暴力を「いじめではなく、けんかだ」と本人たちが主張する場合は“いじめ”としてカウントしない場合がある(もちろんケンカであっても指導はするが)。前者は行為を持って“いじめ”と見なし、後者は動機が“いじめ”と異なると解したことになる。文科省調査では、いじめの様態(行為)を基準にして、からかい、金品隠し、仲間外し、暴力などと分類して報告を求めているから、本人からいじめの申告があれば、行為を基準にして報告することになる。
国語辞典には、“いじめ”の定義として「弱い立場の人に言葉・暴力・無視・仲間はずれなどにより精神的肉体的苦痛を加えること」と記してある。つまり、動機と行為がごっちゃまぜになっているから“いじめ”か不法行為かの分類に困るのである。行為は分類できたとしても意識や動機は外形からでは判断しづらいことが多く判定が難しい。従って、いじめ防止対策法案は不法行為との並列ではなく、むしろ「弱い立場の人に精神的肉体的苦痛を加えないこと」という意識の啓発に重きを置いた方がふさわしい気がする。熊本でも子育てについて家庭教育十箇条が示されているし、福島県の会津市では会津藩時代から言い伝えられている『什の掟』を現代版に直した指針が示され「ならぬものはならぬ」と締めくくられている。当然、不法行為については厳しい姿勢が求められる。いじめ意識がない場合でも、からかい、仲間外し、金品隠し、暴力、誹謗中傷など、相手を苦しめる行為を一切禁止することが肝要だと考える。つまり、不仲や対立・怨恨・鬱憤晴らし・遊び心など、動機はともかく、相手を苦しめる行為は許されないという姿勢は別な法律で示すべきだと考える。しかも、「いじめを行ってはならない」という言い方では、いじめ意識がなければ、そうした行為もある程度許されるという誤解を生みかねない。
EU離脱問題では国論を二分したイギリスだが、青少年の育成については国民の意思が統一されており、暗闇にヒントを求めている。夜間の照明時間(営業時間)を制限することで青少年犯罪やいじめが減少したと言われている。ドイツもしかり。随分と以前から土日の店の営業や高速道路運行を制限し、休日は親も子も家庭や教会で過ごすことを推奨している。不夜城のごとく24時間灯りが煌めくことに不自然さを感じない日本国民とは随分と違う。経済成長だけが加速し前に進むことだけを是とする風潮が蔓延すれば、休息や安らぎの場所をなくした青少年たちの心は揺らぐばかり。ラインやSNSで24時間誰かと繋がっていなければ不安に思ってしまう子供たちの世界。啓発と罰則強化で“いじめ”や犯罪をなくそうとする発想には限界がある。追い立てや囲い込みをしばし中断しようではないか。戦国や江戸時代でさえ、為政者は戦乱の最中であっても庶民の安住に目を配り、気配りの政策を忘れなかった。ひとりでじっくり考えたり休息することが素晴らしい人生だと思えるような環境を作っていくのが為政者や大人の責務だ。それが究極の“いじめ防止対策”に思えて仕方がない昨今の日本列島である。
2016年5月23日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第142号
『耐震改修促進法の落とし穴』
学校長 荒木 孝洋
『耐震改修促進法』という法律がる。この法律に基づいて学校の耐震補強は推進されている。しかし、同じ学校でも、公立と私立では国や県からの助成額が異なるから、同じ工事でも私立学校は手出しが多くなる。さらに、耐震補強が無理と判断された建物は改築(立て直し)しなければ使えない。公立学校は県や市町村の予算で賄われるが、私立学校に対する公的助成は微々たるもので、しかも3年間の時限立法で予算化されたものであり、立て直しに掛かる負担は極めて大きい。
文徳に着任した平成19年(9年前)、理事長より校舎改修の命が下された。本校の校舎を俯瞰すると、学校が創立された昭和36年に建造された建物で、経年50年、老朽化が相当進んでおり、立ち入り禁止の場所があったり、壁面のセメント剥落や床・窓枠の歪みなど生命を守るには不具合な部分が随所に見受けられた。改修にあたって、耐震補強か改築かについて業者に相談したところ、「耐震補強は可能だが、あくまで建物が崩壊しないための工事であって、壁や天井や床を補強したり取り替えるなら自前でやることになる。つまり、補強した部分の壁面は現状復帰のために塗り替えるが、他の壁面の補修や塗り替えは自前になる。床の補強や窓枠をサッシに変えることも自前になる」といった返答であった。しかも、耐震補強では仕切りや壁が不自然な場所になり使い勝手も悪くなる。当時、改築には公的補助金は出ないから負担は相当重くなるが、生徒の命を守ることが最優先と考え、「50年先まで安心して快適に使える校舎を造る(立て直し)」という結論に達した。校舎・体育館・実習棟など、7年の歳月をかけて平成26年には全てが新しい建物になった。今回の地震によって、熊本市内の学校では、建物の損傷や体育館の壁がはがれ落ちたり鉄製の筋交いが垂れ下がり使用不能に陥っている学校もあると聞く。本校は、震源地から遠かったこともあろうが、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下の継ぎ目や実習棟の天井が一部損傷したものの教室や体育館にはヒビひとつ入らなかった。
改めて、耐震改修促進法を読み直してみた。この法律には「建物倒壊などの被害から、生命・財産を守ることを目的とする」と書かれているが、「壁面がぽろぽろ落ちたり天井や床が崩落することについては関知しない」とは書いてない。つまり、この法律は人間に例えると加齢を考慮しない治療法と似ている。80才のお年寄りをみんなで支えれば倒れることはないけれど、体自体は80才のまま。若者に比べれば柔軟性も強靱さも雲泥の差があるのに・・・。建物も同じで、いくら筋交いを掛けて耐震補強しても外壁がぼろぼろ落ちることや、天井や床の崩落を防ぐことはできない。文科省の幹部は、今回の熊本地震での体育館の被災状況について「柱や梁などの構造部材が損傷し、倒壊しそうだという被害は聞いていない。筋交いは、衝撃を逃がすために外れたと言える。体育館の建物が倒壊しなかったという意味では、法律の目的を果たしていると言える」とコメントを出しているが、授業中であれば、外れた筋交いや電灯の落下で生徒の生命が損なわれたかもしれない。それでも、文科省は「建物の倒壊を防ぐためには外れる筋交いが必要だ」と主張するのだろうか。熊日新聞に、今回の地震によって、天井滑落やガラスの破損、電灯の落下により使用できくなった体育館が40を越えるとの報道があった。耐震補強してあるから安心だと思っていたが、どうもそうではないことがわかった。つまり、「耐震改修促進法」は、建物倒壊以外の要因で命を落としたり財産を毀損することについては、アンタッチャブルな法律だと理解せねばならぬようだ。
今なお「今後2ヶ月間は震度6強の地震の恐れがある」との警告が発せられ不安が消えない。現在の科学では地震の予知には限界があり、日本列島の地下に存在するであろう活断層の予測はできても、その動きについては誰も予測できないようだ。科学者と占い師の発言が重なって聞こえる。
2016年5月13日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第141号
『試練こそチャンス』
学校長 荒木 孝洋
新年度が始まり、一年生は新入生研修が終わったばかりの4月14日、熊本は益城町を震源とする震度7の大地震に襲われた。、さらに16日にも、追い打ちをかけるような本震に見舞われ、益城町や熊本市、阿蘇・宇城地区を中心として家屋や道路が大きく損壊した。倒壊した家屋の下敷きとなり49名の尊い命が失われ、熊本城や阿蘇大橋の崩壊など街全体が見るも無惨な光景となり呆然と立ち尽くすばかりだ。その後、県内外からのボランティアの支援で復興の足がかりはできたものの、今なお不自由な避難生活を余儀なくされている方の心情を思うと胸が張り裂けそうになる。文徳も実習棟の天井破損や校舎の継ぎ目が損壊し、敷地の一部が液状化したが、業者の方の精力的な尽力によって修復され、5月9日に授業を再開することができた。余震の終息が不透明で不安は増幅するが、今までの平穏な日常をリセットし新たな人生を拓くチャンスとなるかもしれない。「辛いけど一歩一歩前に進まなくては!」との想いはすべての被災者に共通する心情だろう。
ところで、人生の苦悩・試練について、仏教では“逆(さかさ)菩薩”という言葉を使って表現されている。「どんな逆境・不幸な出来事が起こっても、その出来事には必ず学ぶことがあり、その後の幸福に繋がっているはず」と説明されている。同じようなことを美輪明宏さんが話されていたことを思い出した。「石は川下に流れ流されて磨かれ丸くなる。人生も似ている。逆境や苦労、苦悩、試練こそは自分の魂の財宝の道しるべである」といった内容だった。今回の地震もそうだが、人は、何かマイナスなことが起きると、社会が悪い、他人が悪い、環境が悪いなどと責任を他へ転嫁してしまうことがある。しかし、不幸な出来事でも考え方次第で展開は大きく変わる。随分と以前のことだが、教え子のH君を思い出した。彼が2年生の時、父親の突然の死去で学費さえ払えないほどの苦境に落ち入った。アルバイトで母親を手助けする毎日、勉強する時間を削りながらも大学進学の夢だけは捨てなかったようだ。ある時、「勉強は学校でしてしまう」と決心した彼は休み時間と昼休みを全て勉強に充てた。弁当を食べながら教科書を見ている彼をあざ笑う級友もいたようだが、見事難関大学に合格した。後日、彼は「父親が亡くならなければ、あれほど勉強に集中できなかったと思います」と述懐していた。父親の死を逆菩薩にして頑張ったのだろうと思うと、彼が菩薩に見えてしまう。
試練についてこんな話を聞いたことがある。「もし材木が彫刻家の鑿(のみ)をよければ、いつまでたっっても立派な彫刻にはなれないだろう。それと同じで、人間も試練をよけてばかりいると、いつまでたっても立派な人間になれない。試練という鑿(のみ)で余分な所を削られるからこそ、本当の自分になれるのです。苦しみの中で、思い上がりが削り取られ、謙遜さを深く刻み込まれた人物になってゆくことができるのです」と。すべてが自分の思った通りになれば、結局、自分が思っている程度の人間にしか成れない。今回の震災もそうですが、時々思いがけない試練がやってくるからこそ、私たちは、自分の想像をはるかに超えて成長できるのです。試練の時こそ成長のチャンス。その道を通ることで今よりずっと成長できるなら、それは決して「まわり道」ではありません。失ったものにしがみつかず、与えられたものに感謝して、そこからスタートする。苦しいけど、進んでいくうちに、失ったことにも、与えられたことにも、きちんと意味があったことに気づく日が訪れるはずです。
幸いに、若い生徒諸君には自分を磨く時間がタップリと与えられている。「君こそ君の応援団 ガンバレ自分」と自分を鼓舞しながら、「でも、やるのは自分だ」と自覚することで、目標に向かうエネルギーが生まれてくるだろう。因みに、ベネッセの集計によると、5年前の東日本震災のとき、東北3県(福島・岩手・宮城)の進学実績は例年を上回ったそうだ。学習時間の不足を集中力で補ったのだろう。授業のスタートが一ヶ月遅れたがまだ間に合う。心意気で試練をチャンスに変えて欲しい。ともにガンバロウ!
2016年2月23日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第140号
『旬』
学校長 荒木 孝洋
若い頃は徹夜も平気だったのに、今では少し無理をすると、何日も疲れが残ってしまう。以前はすんなりと記憶できていたことも、今ではなかなか覚えられなくなり覚えてもすぐ忘れてしまう。一方では、身体に染みこんだ記憶や生活習慣だけはより鮮明になり、他人の仕草が気になってしまう。家の中でも、つい小言になって、家内から「うるさい」「ハイハイ」とあしらわれる。「言わなきゃ良かった」「言い過ぎたかな」と反省しきり。
そんな時、1月23日の熊日新聞の「生きる」という紙面に掲載されていた「順送り」と題した文章が目に止まった。筆者は医師の有薗祐子さん(57才)という方、「なるほどそうか」と共感しながら何度も読み直した。
一部紹介します。『・・・母が逝って9年になる。・・・仕事から帰ると、母が不自由な足を引きずりながら、洗濯物を取り込んでいた。「お母さん、何しよっと!危ないたい。もう、せんでよか。かえって・・・」。かろうじて飲み込んだ言葉は、しかし確実に母の胸を刺しただろう。「あんたが少しでも楽なごとと思って・・・」と目を伏せた母に、本当は泣いてすがりたかった。言葉にならない感情をもてあまし、がむしゃらに洗濯物を丸めていた。今はよくわかる。母は与えたかったのだ。/その母は、嫁ぐ直前に亡くした自分の母のことを問わず語らずによく口にした。「編み物をしていると、そばにおっかさんが来てね。黙ってじっと見とっとたいね。嫌だったけど、おっかさんは何かば教えようごたったつかもしれんねえ」と遠い目をして振り返っていた。/大切な人が年をとり、少しずつ弱く小さくなっていく。それでも与えようとする。いとおしくて、不憫で、悲しくて・・・。そんな気持ちを若かった母も抱いたのだろうか。/年齢が追いついて初めて解ける謎がある。祖母も母も辿ってきた道だ、と思いながら同じ道を歩く。今が自分の番なんだねとつぶやいたら、無性に祈りたくなった。/久しぶりに茶碗蒸しを作った。「味付け教えて」と娘が言う。ああ、まだ与えてやれることがある。台所で片付けものをしながら、何だか嬉しい小寒の夜だ』end。
人は誰でも、年をとるにつれ、それまで難なくできていたことが徐々にできなくなっていく。しかし一方で、齢を重ね、さまざまな経験を積んでいくなかで、分かるようになったり、見えるようになったりするのも増えていく。だから、今になって初めてできることも、たくさん生まれてきているはずである。私の母も90才、歩くのは歩くが日に日に足腰が弱り、同じ話を繰り返すことも多くなった。昔は「その話は聞いた」と途中で話を折っていたが、今は違う。「よっぽど気になっていることだな」と思うと、聞こえ方も、聴き方も変わってきた。
若いときはそう思えないかもしれないが、できる、できないと一喜一憂することはない。食べ物に旬があるように、人間の人生にも何かを行うのに最適の時期があるのではないか。そうしたその時どきの自分にとっての旬を捉え、今だからできること、今しかできないことを逃さず、それに精一杯取り組んでいくことが大切なのだろう。そこから、それまでできないと思っていたことを可能にする新たな力がわいてくるに違いない。司馬遼太郎は小説「坂の上の雲」の中で青雲の志の大切さを描き、五木寛之は小説「林住期」の中で、山を下った坂の下にユートピアがあると描いている。年齢に応じて心にしみる部分も発する言葉も違うが、若者には前者の生き方が似合うし、歳を重ねると後者の想いが理解できる。
日本も戦後70年、かっての高度成長は望めない林住期、「成長・成長!」「一億総活躍」と檄を飛ばされても老体にはきつい。心も体も固まってしまう。坂の上の雲を目指して活躍する若者と坂の下からそれを応援する老人たち、それが私にとっての『旬』の姿だ。