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2019年11月11日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第179号
『摩擦がないと字は書けない』
学校長 荒木 孝洋
私が生まれた昭和21年は終戦直後の混乱と物不足の時代。夢多いはずのピッカピカの小学生の頃、今のように新しい教科書が無償で渡されることもなかったし、購入した教科書は妹や弟に譲るから折り目もつけないほど丁寧に扱った。もちろん、教科書に字を書き込むなどもってのほかである。ガサガサして書けない鉛筆、今は使っていないざらざらの黒いちり紙のようなノート。しかし、それが当たり前だと思って大事に使った。書けばノートは破れ、鉛筆は舐めないと色がつかない代物だった。習字の練習には新聞紙を使い、チラシの裏紙を使って算数の計算をした。給食もなく、野菜の煮物と卵焼きに漬け物の質素な弁当を持参した。友達との諍(いさか)いが起こっても、その都度、先輩は大声で窘(たしな)めたり仲裁して仲直りさせてくれた。我慢する、あきらめる、食べものが自由に食べられない、そんなナイナイ尽くしの混迷した日常生活の中で、自分で生きる道を考え、自分で行動し、自分で生きていくことが求められたのが戦後の日本である。
その後、物不足が少しずつ解消し国民に多くの自由が保証されるようになった。さらに時が流れ、1980年代になると、自由な風潮を「何でもOK」と曲解し、バイク暴走、喫煙、深夜徘徊などと自由奔放に振る舞う生徒や、「長髪禁止」の校則見直しなどを訴えて授業をボイコットする生徒が現れた。テレビでは金八先生が登場し、ある芸能人が自分の子供との戦いを描いた「積み木くずし」という本が売れた時代だ。この時期に、文科省は指導要領の見直しを行い、所謂、「ゆとり教育」というスローガンの新学力観を提示した。学校5日制が始まり、各教科の指導内容が精選され授業時間も削減され、学習状況の評価も知識の理解から学習の態度にシフトした。教師も指導者から支援者へと転換し、生徒の多様性を尊重し、生徒の自主性・主体性を尊重する教育こそ素晴らしいと謳うように変化していく。しかし、『自主』とか『多様性』という言葉は耳障りのいいキャッチフレーズだが、「自分の責任で将来を決めろ!」というメッセージだから自己責任が発生する。しかも、個人の主体性が尊重されるだけであって、自らの想いをどのように実現していくかは誰も教えてくれないから、結果として、不満や不足が増幅し、時間の経過と共に“長いものに巻かれろ”といった依存心の強い子供や学校を忌避する不登校の子どもが増えていくことになる。
振り返ると、あの1980年代の子供たちのエネルギーは、なぜあんなにも大きく、強かったのだろうか?・・・推測するに、物心両面において歪(いびつ)に感じる不自由があったから自由に対する意欲が高まっていったのではなかろうかと思う。表面がツルツルした紙に字は書けないが、摩擦があるから字が書けるのと同じように、自由を獲得するには幾らかの不自由という摩擦が必要ではないのだろうか。制限された不自由の中で学び方を習得し、また、社会や集団生活のルールを形式から学び、自分の好きにしたい時にも自分を超えた何かに制限される、そんな経験をして初めて一人の人間になる。反抗期に、子どもが親を無意識に否定し親から自由になりたいと思うように、不自由であるからこそ自由になりたいという意欲が生まれ、自分で工夫する知恵が芽生えてくるのではなかろうか。
本校には中学生もいるが、中学生は高校生に比べてその成長は日替わりメニューのようにめざましい。授業中友達にちょっかいを出して勉強の邪魔をしたり、友達との諍いで暴れては窓ガラスに衝突する生徒も、失敗を繰り返しながら学年が上がるにつれて見事に変身する。2・3年生になると、駄々をこねる1年生を見て「俺たちもあんな時期があったよナ!」と実に冷静である。周りの友達や先生から諫められたり励まされながら成長していく姿は今も昔も変わらない。リモコン・センサー・自動運転など利便性は次々と獲得してきたが、子どもの成長に必要な大切な何かが失われている気がする。それは、デッパリをこする砥石と悶々とした試行錯誤の時間である。大人の誰もが、若い時は「ツマズキ」を通して成長してきた経験を持っているはずなのに・・・叱ること・見守ることが下手になったようだ。怒髪天を衝く叱責の声、失敗を優しく見守る温かいまなざしはどこに消えたのだろうか?いずれも物質文明にドップリと浸かりきった日本人の劣化現象かもしれない。台風被害の復興・復旧と共に人間らしいゆとりある心と温かみのある言葉の再構築も急務である。