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2017年12月26日
『型』
学校長 荒木 孝洋
柔道や剣道などのスポーツ、また芸術や芸能の世界で、手本となる体勢や動作のことを「型」と言う。今、世間を騒がせている相撲の貴乃花が部屋を立ち上げたとき、次のようなコメントをマスコミに寄せていた。「上手投げや下手投げは一見腕だけの力に見えるかもしれません。でも腕力だけでは投げられない。土俵で踏ん張る脚力、腰の粘りなど全身の力が大切なのです。筋力を鍛錬するウエイトトレーニングも必要ですが、土俵で相撲をとるためには長い歴史の中で培われた四股、スリ足、股割り、テッポウなどの基本を身につけなければなりません。上手投げも下手投げも基本がしっかりしていれば、どんな攻防も可能なのです。相撲に応用などいりません」と述べておられる。私は大の相撲ファンだからそのコメントがとても印象に残っている。貴乃花部屋では、基本の四股、スリ足、股割り、テッポウが終わると「これで稽古終わり」と師匠は稽古場を去り、力士たちはその後に申し合いや筋トレをするそうだ。力士の力は基本動作を見れば分かると言うことだろう。
振り返ると、武道や芸能の世界に限らず、私達の日常生活における身近な所作にも「型」があるような気がする。例えば、約束した時間を守る、朝、家族に「おはよう」のあいさつをする、履き物を揃える、呼ばれたら「ハイ」と返事をするなど、いずれもこれらの所作を「型」として身につけ、日々実践することは大切なことだと思う。家族でも知り合いでも、何かのハズミで、顔も見たくない、口も聞きたくないと言うときがあります。その気持ちのまま朝、行き合ったならば、つっけんどんな態度になりお互いに不愉快になります。ところが、「おはよう」のあいさつを「型」として身につけていると、「顔も見たくない」という「我(が)」が、その「型」によって取り払われ、自然に「無我」の状態になれます。あいさつが調和を取り戻す一歩となり、あいさつをした人の心は、しないよりずっと穏やかであるはずです。「型どおり」と聞くと、変化や工夫がないように思えますが、そうばかりともいえません。「型」によって習慣化した振る舞いは、いざというとき、平常を取り戻す大事なツールとして活躍し、自己中心となりがちな心の在り方に警告を発する役割をしてくれるのです。
一方、「型」の習得には指導者の役割も大きい。先日、甲子園の常連校の監督として大活躍されていたA先生と話をする機会があった。バッティングの話になった。「本校の選手を見ていると、期待した場面で肩に力が入りすぎて凡打になるケースが多い。力んでいるように見えるが、どうしたらいいでしょうか?」と質問すると、先生は、「力むなでは修正できない。力む理由は親指に力を入れてバットを握るからで、上腕筋に力が入り振りが縮こまってくる。だから、小指に力を入れてバットを握るよう指導するとよい。そうすると、下腕筋が働き、振りがスムーズになりムダな力が消えていく」と言われた。野球の練習で「素振り」は打撃の「型」を決める大切な練習のひとつだが、ただ振り回していたのでは「型」の習得にはにならない。指導者の責務も大きいと思った。
三年生はいよいよ入試本番、センター試験まであと20日余り。この時期になると、点が伸びずに「力み」に似た症状になる生徒がいる。「力み」は「焦り」、難問に手を出して自信を失ったり、藁にもすがる思いで塾や家庭教師を頼って失敗するケースがそれだ。受験の仕上げは基礎・基本の繰り返し、「型」の確認が肝要。難問への挑戦はバットを親指で握っているようなもの、それでは真逆の対応。基礎基本は教科書にあり、脳の柔軟性を取り戻す作業はバットを小指で握るに似たり。