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2017年11月の記事

読書はしなくてはいけないものか?

2017年11月14日

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文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ

第158号

 

『読書はしなくてはいけないものか?』  

学校長 荒木 孝洋

 

 

最近、一日の読書時間が『0分』の大学生が5割に上る、という調査結果が報告された。さらに、全国学校図書館協議会による読書調査によると、本屋に行くと答えた割合が、12年前と比べて小中高のいずれも11〜8%減少しているそうだ。スマホの普及や街の書店が減ったこともその要因かもしれないが、若者の本離れが進んでいるようで心配になる。上記のタイトル「読書はしなくてはいけないものなのか?」というのは21才になる大学生の新聞投書(朝日新聞2017年3月8日掲載)である。大学生曰く「私は、高校の時まで読書は全くしなかった。それで困ったことはない。読書が生きる上での糧になると感じたことはない。読書はスポーツと同じように趣味の範囲であって、自分にとってはアルバイトや大学の勉強の方が必要。(中略)読書をしなければいけない確固たる理由があるならば教えて頂きたい」と。この投書は反響が大きかったのか、その後、その記事に対するさまざまな立場、年齢の読者からの意見や感想が掲載されていた。

 

 伊藤忠商事の社長であり中国大使も歴任された丹羽宇一郎は、件の大学生の意見に対して、著書『死ぬほど読書』の中でこう答えておられる。一部抜粋して紹介する。“もし、その大学生が直接、私にそんなことを聞きに来たら、こう答えると思います。「読む、読まないは君の自由だから、本なんて読まなくていいよ」。そもそも、誰がその大学生に本を読めと強制しているのでしょう。読まなくても本人の勝手です。読書をしない若者が増えたと嘆く大人の声など無視し、意義を感じるアルバイトや勉強に今日も明日も精を出せばいいのです。しかし、読書の楽しみを知っている人にはわかります。本を読むことがどれだけ多くのものを与えてくれるかを。考える力、想像する力、感じる力、無尽蔵の知識や知恵・・・、読書はその人の知的好奇心、そして「生きていく力」を培ってくれます。(中略)読書の必要性をどう考えようと自由です。しかし、必要ないと思う人は気づかないところで、とても大きなものを失っているかもしれません。政治にしても経済にしても文化にしても、そこに携わっている人たちの言葉が軽くなっている。じっくりと洞察し、深く考えたところから発した言葉に触れる機会が、以前よりぐんと減っている感じがします。このことは現代人の読書時間が極端に減っていることと、決して無関係ではないと思います。(中略)『何でもあり』の世界は一見自由なようですが、自分の軸がなければ、実はとても不自由です。それは前へ進むための羅針盤や地図がないのと同じです。 では、自分の軸を持つにはどうすればいいのか?。それには本当の『知』を鍛えることしかありません。読書はそんな力を、この上もなくもたらしてくれるはずです。読書はあなたをまがいものでない、真に自由な世界へと導いてくれるものなのです”と。

 

 人の一日は24時間。従って、新しいモノが登場したり新しいことを始めると、従来使っていた時間から何かを削らなくてはならない。特に、ケータイやネットの登場で使う時間も情報発信のスタイルも一新し、新たな時間配分のステージへ向かうことになった。朝から深夜まで絶えず誰かと会話をしたり、携帯やメールチェックと返信で落ち着かない若者が増えたと言うが、24時間から何を削っているのだろうか?。人や書物と対面しながら『心の習慣』を身につける大切な時間が削除されているような気がしてならない。若くて無限の可能性を秘めている若者だが、学び身につけなければならないことがまだまだ沢山ある。その手立てのひとつが読書だ。読書は趣味のひとつではない。自分が経験できないようなことを、読書を通して体験する。それによっていろいろな人の立場に立ってものごとを見たり、考えたりできる。そうすることによって自分の視野や思考の範囲がぐんと広がり、想像力が鍛えらる。想像力はとても大事だ。本を読んでさまざまな生き方や思考を体験できれば、想像力はどこまでも伸び、世界がそれだけ広がる。しかも、人には寿命があり、その中でできることは限られている。経験できないこともたくさんある。それを埋め合わせたり、人生を豊かにしてくれるのも読書の妙味だ。