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2017年10月10日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ
第157号
『縁を生かす』
学校長 荒木 孝洋
稲穂が色づき実りの秋を実感する季節になった。子供のころを思い出す。今はほとんど見かけることがなくなったが、どこの田んぼにも人の姿を模造した案山子が立てられていた。布ぎれに顔を描きそれを棒に巻き付けただけの人形、子どもたちはそのユーモラスな形相に笑いこけた。案山子は稲刈りが終わると役割終了、しかし、その後も田圃の隅っこにポツンと立てられたまま。雪が降れば白装束になり、冬になると北風に震えるようにして忽然と立ったままである。その姿が不憫に見えたことを想い出す。可哀想だと思うのはその姿に自分の姿や境遇が重なるからかもしれない。
ところで、本棚を整理していたら、京セラの稲盛和夫会長が書かれた「ちょっと元気の出る話」という本を見つけた。ひとりの少年の成長を記した「縁を生かす」というタイトル、教師の資質が問われているようでドキッとした。原文のまま紹介する。
“その先生が5年生の担任となった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録には先生は少年の悪いところばかり記入するようになっていた。ある時、少年の1年生からの記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」先生は胸に激しい痛みが走った。ダメだと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」と、少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を上げた時、先生は大きな歓びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮に少年の家を訪れた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!きょうは素敵なクリスマスだ」6年生では少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」それから6年、またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担任してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」10年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた経験があるから患者の痛みが分かる医者になると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生のとき担任をしてくださった先生です」そして一年、届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。”(おわり)
たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見いだし、それをよりどころとして、それからの人生を生きた。ここに少年の素晴らしさがある。人は誰でも縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのはその縁をどう生かすかである。と同時に、教師は子供の心の動きを感じるアンテナの高さが問われる。立ってるだけの教師は案山子と同じ。
(教師生活50年の述懐)