学校法人 文徳学園 文徳高等学校・文徳中学校

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2016年05月の記事

耐震改修促進法の落とし穴

2016年5月23日

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文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第142号

 

『耐震改修促進法の落とし穴』

学校長 荒木 孝洋

 

 『耐震改修促進法』という法律がる。この法律に基づいて学校の耐震補強は推進されている。しかし、同じ学校でも、公立と私立では国や県からの助成額が異なるから、同じ工事でも私立学校は手出しが多くなる。さらに、耐震補強が無理と判断された建物は改築(立て直し)しなければ使えない。公立学校は県や市町村の予算で賄われるが、私立学校に対する公的助成は微々たるもので、しかも3年間の時限立法で予算化されたものであり、立て直しに掛かる負担は極めて大きい。

 

 文徳に着任した平成19年(9年前)、理事長より校舎改修の命が下された。本校の校舎を俯瞰すると、学校が創立された昭和36年に建造された建物で、経年50年、老朽化が相当進んでおり、立ち入り禁止の場所があったり、壁面のセメント剥落や床・窓枠の歪みなど生命を守るには不具合な部分が随所に見受けられた。改修にあたって、耐震補強か改築かについて業者に相談したところ、「耐震補強は可能だが、あくまで建物が崩壊しないための工事であって、壁や天井や床を補強したり取り替えるなら自前でやることになる。つまり、補強した部分の壁面は現状復帰のために塗り替えるが、他の壁面の補修や塗り替えは自前になる。床の補強や窓枠をサッシに変えることも自前になる」といった返答であった。しかも、耐震補強では仕切りや壁が不自然な場所になり使い勝手も悪くなる。当時、改築には公的補助金は出ないから負担は相当重くなるが、生徒の命を守ることが最優先と考え、「50年先まで安心して快適に使える校舎を造る(立て直し)」という結論に達した。校舎・体育館・実習棟など、7年の歳月をかけて平成26年には全てが新しい建物になった。今回の地震によって、熊本市内の学校では、建物の損傷や体育館の壁がはがれ落ちたり鉄製の筋交いが垂れ下がり使用不能に陥っている学校もあると聞く。本校は、震源地から遠かったこともあろうが、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下の継ぎ目や実習棟の天井が一部損傷したものの教室や体育館にはヒビひとつ入らなかった。

 

 改めて、耐震改修促進法を読み直してみた。この法律には「建物倒壊などの被害から、生命・財産を守ることを目的とする」と書かれているが、「壁面がぽろぽろ落ちたり天井や床が崩落することについては関知しない」とは書いてない。つまり、この法律は人間に例えると加齢を考慮しない治療法と似ている。80才のお年寄りをみんなで支えれば倒れることはないけれど、体自体は80才のまま。若者に比べれば柔軟性も強靱さも雲泥の差があるのに・・・。建物も同じで、いくら筋交いを掛けて耐震補強しても外壁がぼろぼろ落ちることや、天井や床の崩落を防ぐことはできない。文科省の幹部は、今回の熊本地震での体育館の被災状況について「柱や梁などの構造部材が損傷し、倒壊しそうだという被害は聞いていない。筋交いは、衝撃を逃がすために外れたと言える。体育館の建物が倒壊しなかったという意味では、法律の目的を果たしていると言える」とコメントを出しているが、授業中であれば、外れた筋交いや電灯の落下で生徒の生命が損なわれたかもしれない。それでも、文科省は「建物の倒壊を防ぐためには外れる筋交いが必要だ」と主張するのだろうか。熊日新聞に、今回の地震によって、天井滑落やガラスの破損、電灯の落下により使用できくなった体育館が40を越えるとの報道があった。耐震補強してあるから安心だと思っていたが、どうもそうではないことがわかった。つまり、「耐震改修促進法」は、建物倒壊以外の要因で命を落としたり財産を毀損することについては、アンタッチャブルな法律だと理解せねばならぬようだ。

 

 今なお「今後2ヶ月間は震度6強の地震の恐れがある」との警告が発せられ不安が消えない。現在の科学では地震の予知には限界があり、日本列島の地下に存在するであろう活断層の予測はできても、その動きについては誰も予測できないようだ。科学者と占い師の発言が重なって聞こえる。

 

試練こそチャンス

2016年5月13日

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文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第141号

 

『試練こそチャンス』

学校長 荒木 孝洋

 

 新年度が始まり、一年生は新入生研修が終わったばかりの4月14日、熊本は益城町を震源とする震度7の大地震に襲われた。、さらに16日にも、追い打ちをかけるような本震に見舞われ、益城町や熊本市、阿蘇・宇城地区を中心として家屋や道路が大きく損壊した。倒壊した家屋の下敷きとなり49名の尊い命が失われ、熊本城や阿蘇大橋の崩壊など街全体が見るも無惨な光景となり呆然と立ち尽くすばかりだ。その後、県内外からのボランティアの支援で復興の足がかりはできたものの、今なお不自由な避難生活を余儀なくされている方の心情を思うと胸が張り裂けそうになる。文徳も実習棟の天井破損や校舎の継ぎ目が損壊し、敷地の一部が液状化したが、業者の方の精力的な尽力によって修復され、5月9日に授業を再開することができた。余震の終息が不透明で不安は増幅するが、今までの平穏な日常をリセットし新たな人生を拓くチャンスとなるかもしれない。「辛いけど一歩一歩前に進まなくては!」との想いはすべての被災者に共通する心情だろう。

 

 ところで、人生の苦悩・試練について、仏教では“逆(さかさ)菩薩”という言葉を使って表現されている。「どんな逆境・不幸な出来事が起こっても、その出来事には必ず学ぶことがあり、その後の幸福に繋がっているはず」と説明されている。同じようなことを美輪明宏さんが話されていたことを思い出した。「石は川下に流れ流されて磨かれ丸くなる。人生も似ている。逆境や苦労、苦悩、試練こそは自分の魂の財宝の道しるべである」といった内容だった。今回の地震もそうだが、人は、何かマイナスなことが起きると、社会が悪い、他人が悪い、環境が悪いなどと責任を他へ転嫁してしまうことがある。しかし、不幸な出来事でも考え方次第で展開は大きく変わる。随分と以前のことだが、教え子のH君を思い出した。彼が2年生の時、父親の突然の死去で学費さえ払えないほどの苦境に落ち入った。アルバイトで母親を手助けする毎日、勉強する時間を削りながらも大学進学の夢だけは捨てなかったようだ。ある時、「勉強は学校でしてしまう」と決心した彼は休み時間と昼休みを全て勉強に充てた。弁当を食べながら教科書を見ている彼をあざ笑う級友もいたようだが、見事難関大学に合格した。後日、彼は「父親が亡くならなければ、あれほど勉強に集中できなかったと思います」と述懐していた。父親の死を逆菩薩にして頑張ったのだろうと思うと、彼が菩薩に見えてしまう。

 

 試練についてこんな話を聞いたことがある。「もし材木が彫刻家の鑿(のみ)をよければ、いつまでたっっても立派な彫刻にはなれないだろう。それと同じで、人間も試練をよけてばかりいると、いつまでたっても立派な人間になれない。試練という鑿(のみ)で余分な所を削られるからこそ、本当の自分になれるのです。苦しみの中で、思い上がりが削り取られ、謙遜さを深く刻み込まれた人物になってゆくことができるのです」と。すべてが自分の思った通りになれば、結局、自分が思っている程度の人間にしか成れない。今回の震災もそうですが、時々思いがけない試練がやってくるからこそ、私たちは、自分の想像をはるかに超えて成長できるのです。試練の時こそ成長のチャンス。その道を通ることで今よりずっと成長できるなら、それは決して「まわり道」ではありません。失ったものにしがみつかず、与えられたものに感謝して、そこからスタートする。苦しいけど、進んでいくうちに、失ったことにも、与えられたことにも、きちんと意味があったことに気づく日が訪れるはずです。

 

 幸いに、若い生徒諸君には自分を磨く時間がタップリと与えられている。「君こそ君の応援団 ガンバレ自分」と自分を鼓舞しながら、「でも、やるのは自分だ」と自覚することで、目標に向かうエネルギーが生まれてくるだろう。因みに、ベネッセの集計によると、5年前の東日本震災のとき、東北3県(福島・岩手・宮城)の進学実績は例年を上回ったそうだ。学習時間の不足を集中力で補ったのだろう。授業のスタートが一ヶ月遅れたがまだ間に合う。心意気で試練をチャンスに変えて欲しい。ともにガンバロウ!