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2015年9月28日
文徳中学・高等学校のことをもっと知りたいと思っている小学生・中学生とその保護者の方々へ 第134号
『真逆の教育改革』
学校長 荒木 孝洋
記録的な猛暑がやっと終わったと思ったら、今度は茨城・栃木・宮城の豪雨、川の堤防が決壊し大規模な洪水被害が発生した。近年になって、これまで経験したことのないような規模の災害がこうも立て続けに発生すると、やはり地球規模の大きな変化が起きているのではないかと思わざるを得ない。一方、国会では反対のデモが渦巻く中、集団的自衛権を容認する安全保障法案が承認された。私は昭和21年生まれだから、終戦以来ずーっと平和な日本の歴史と同じ歩みをしてきただけに今回の法案には一抹の不安を憶える。平和という大河が法案施行によって決壊しなければよいがと思うのは私一人ではなさそうだ。
ところで、教育界にも大洪水の兆しがある。マスコミはほとんど取り上げないが、学習指導要領の改訂、大学入試改革など2020年を「ターゲットイヤー」とする大改革が着々と進行している。果たして教育界は、どのような形で20年の東京五輪・パラリンピックを迎えることになるのだろうか?。今回提示されている教育再生計画(教育は一度も死んだことはないのに再生とはなんぞや?私のもっとも嫌いな表現だが・・・)について下村文部科学大臣は「明治以来の大改革」と述べている。話の趣旨は「どれだけ知識を習得したかという教育から、習得した知識をどう活用するかという教育への転換」、そのために「指導要領を変える、授業もティーチングからアクティブ・ラーニングへ転換する、知識・技能を問うような入学試験を改訂する」である。具体的には、「現代歴史」「公共」の新科目の創設とセンター試験廃止に伴う新テストの複数回実施が提起されている。趣旨には賛成だが、膨らむばかりの提言に困惑している。学校では、意欲も学力も異なる生徒に対して、限られた時間の中で、英語や国語・数学などの教科の学力向上に努め、場合によっては、不足する部分を早朝や放課後の補講で補っている。さらには、国際化、情報化といったキーワードで指導内容も膨らむ一方、交通マナーの指導、スマホの指導、薬物濫用防止啓発、いじめ撲滅の人権教育・・・土・日は部活動の指導もある。それでも、愚痴も言わずに教師は頑張っている。子どもの悩みやニーズに応えながら必死の支援活動である。まじめな教師は「さらに、何を頑張ればよいのですか?」と問いかけるだろうし、「もう頑張れません」と消えゆく教師も増えていると聞く。人材枯渇も心配になる。行政の方々は学校の実情をご存じなのだろうか?
そもそも教育は国家百年の計と言われるが、その目的は子どもに「生きる力」を養うことにつきる。「生きる力」とは「これからの世の中を生きていくために必要なスキルは何か、どうすればそれを身につけることができるかを自分で考え実行していく力」だ。誰かに「これが必要だよ」とインストールしてもらうような教育では、本当の「生きる力」は育まれない。ITリテラシー、プレゼンテーション能力などを、スマホのアプリのように「パッケージ化されたスキル」にして、それを子どもに与えることばかり議論しているようでは、教育の本義からそれてしまう。元来、子どもは普通に各教科を学ぶ過程で様々な思考や表現を経験し、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら知識と知恵を身につけ、「生きる力」を獲得していく。子供の学力差や成長に早遅はあっても、学ぶ意欲は均等だ。チャレンジ・アンド・エラー、この姿こそアクティブ・ラーニングそのものだと考える。
大学入試改革もしかり、センター試験は一点刻みの知育偏重入試だということで、新テストの導入が提起されているが、運用の問題であって、「教科の枠を越えた出題」とか「記述式の問題」「外部試験の活用」への変更であり、洗練された出題のセンター試験とはほど遠い提言だ。高校でも慎重論が多い。また、AO入試・推薦入試などの多様な選抜試験を推奨しているが、すでに、一部の私大では青田買いとも思えるAO入試が跋扈しており、5月のオープンキャンパスに参加しただけで「合格確約証」を発行する大学もある。学力に不安のある生徒は学習を放棄して入学を確約する。提言が実施されると、年に複数回新テストが実施され、AO入試が拡大し、通年入試が罷り通ることになる。ジックリ学ぶ時期を保証するのが高校教育の神髄。キャリア教育とかアクティブ・ラーニングとは真逆の光景が2020年の高校現場となっているのでは・・・。杞憂であることを願っている。